理由なんてない

どうしてこの道を選んだの?

外で自己紹介すると、たいていこう聞かれる。そのたびに私は口ごもる。

 

そんなの私が聞きたい。相手はじぶんのことを知りたいと思って聞いてくれるのに、うまく返せないのは申し訳ない。しかし、わからないものはわからないのだ。

 

もちろん選ぶときに悩んだり抵抗もした。面接でも理由を考えた。でも結局、これという答えは出なかった。あえて言うなら、そうするしかなかった、だろうか。

 

まあつまりは選んだというか、もう決まっていた、ということかもしれない。

 

その反動でいまは異常なほどに選択することの重みと喜びを感じている。

 

成功することも失敗することもある。続くことも続かないこともある。いろんなことを試しながら、なにがヒットするか探っている。

 

まあいずれにせよ、なにかをすればなにかしらの経験が得られる。続かなくても続いても、やった分だけ知れることがある。

 

夢も希望もなくても、そんなかけらを集めているだけだっていいだろ。誰かそれでいいと言ってくれ。

 

希望みたいなもの

毎日それなりに楽しく過ごしている。

ゲームしたりYoutubeを観たりたまに勉強したり、ラジオを聴いたりジグソーパズルをしたり。「StayHome」や「おうち時間」という言葉はなぜか好きになれないけど、なかば意地になって楽しんでいる。もともと人と話すよりひとりで過ごす時間の方が長い生活をしていたので、人と会えないこともそんなにつらくはない。

 

でももしかしたら、そう思うことでじぶんは大丈夫だと思いこませているだけかもしれない。

 

人と話さないのは、らくではあるがさびしい。どうでもいいことをだらだらと話したい。でも、電話しようと声をかける勇気は残っていない。

 

今こんなときだから、生産的なことをしようとか、誰かの役に立つことをしようとか、諦めたことはたくさんある。

 

でも、あきらめちゃいけないこともあると思うんだ。それは、なにがやりたいか考え続けること。言い換えれば、未来がよくなると信じること、つまり希望だ。

 

今、明日やりたいことも、明日食べたいものも、行きたい場所もやりたいこともない。なんだかわからないけどただただ毎日ぼーっと過ごしている。どうしてこうなってしまったんだ。

 

浪人していた頃は、今みたいに不自由なことがたくさんあって、現状に絶望したりもしてた。でも、やりたいことはたくさんあった。そのとき書きためた、やりたいことリストは今半分も達成している。

 

そのときと状況がちがうとはいえ、少しくらいの希望がないとだめだ。毎日を楽しく生きることと同時に明るい未来を信じる気持ちを持っていないとだめになる。理由はわからないけど、直感的にそう思う。

 

とりあえず、どんな小さなことでもいいから書いてみよう。たとえ現実離れしてても、くだらなくても。固く閉じてしまった箱を開けるのは時間がかかるかもしれないけど、まだ間に合う。

 

そうして、ふと思いついたのがブログを書くことだった。今まで他の場所でも書いたり、じぶんで日記も書いてるけど、誰にも見られない場所で、でも誰かに見られることを願って文章を書きたいと思った。まだテーマもタイトルも決まってないけど、とにかく書いてみる。

 

 (2020/05/20)